【14億分の1:中国事件簿】「殺魚弟」の真実の人生(下) 少年の成長と心のゆらぎ

出典:東方新報 掲載時間:2018-08-22
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魚をさばくことが上手な「殺魚弟(訳:魚屋少年)」として中国のインターネットで有名だった孟凡森(Meng Fansen)さん(18)は7月31日午後6時ごろ、家族と激しいけんかの5分後、劇毒の除草剤「百草枯」を飲み込んだ。

一時は重度の中毒に苦しんでいたが、病院で手当てを受けた結果、容体は快方に向かっているという。


■学校に行くのをやめ、魚さばく生活に

インターネットで動画が爆発的に広まった後、幾つかの教育機関は凡森さんにバッグや文房具をプレゼントした。きちんと学校に行けるように資金援助をしたいと申し出てきた人もいた。

ただ、同じ学校に通っていた妹は、「兄ちゃんは国語の授業を聞いてもわからないみたいで、先生の言うことについて行けなかった。兄ちゃんが6年生の時には、授業中は寝ていたし、しょっちゅう廊下で立たされていたの」という。

母親は「あの頃、出稼ぎの子どもは一人当たり1200元(約1万9300円)の学費負担があったので、血と涙のお金だからむだにしないでおくれと何度も言ったんだが聞き入れてくれず、成績は最低のままだったんです」

少年はとうとう、学校に行くのをやめた。地元の人が「どうして学校に行かないのか?」と尋ねると、逆に少年から、「学校に行って何ができるの?」と聞き返されたという。

いつの間にか、「殺魚弟」が学校に行くか行かないか、の話題は消えてしまった。

14歳になると、完全に学校に行かなくなり、毎日魚をさばいて売る生活となった。身長は1メートル70センチ、肩幅は広く、がっちりした体形で寡黙な性格だ。香港映画の登場人物に魅せられ、胸に映画の登場人物と同じ図案の入れ墨を600元(約9680円)で彫ってもらった。

普段の暇な日、孟さんは背の低いプラスチックの椅子に腰かけ、両手はオッポ(OPPO)スマホの上を忙しく行き来し、画面からはゲームの戦闘の音が伝わってくる。

父親の長青さんは、息子に幾度も聞いた。本当に魚をさばくのが好きなのか?それとも出稼ぎに行って、もっと儲かる仕事をやりたいのか? 答えは、「やっぱり家で魚を売ることにする。外地に行っても、だまされたらどうにもならない」だった。


■「大もうけ」名前に込め

家族は少年を「殺魚弟」と呼んだことはない。幼少時の名前の「大発」と呼ばれている。

孟家は8人家族だ。父親の長青さんは若くころに父を亡くし、実家にいた弟はガス中毒で死亡。母親は再婚して別の家に嫁いでいったので、自分一人だけが残った。自分の子どもらが同じように孤独になってはよくないと考え、6人の子をもうけた。「自分が疲れるのは問題ない、家の中は人が多いほうが賑やかでよい」という。

のちに「殺魚弟」として有名になる凡森さんが生まれた時には、息子が将来満ち足りた生活を送るように「大発(訳:大いにもうかる)」と名付けたという。

現在、孟さんが営む水産業の店名は「山東蘭陵大発水産」。「殺魚弟」水産の看板は2~3年掲げたが、風の強い日に一部壊れてしまったため降ろした。

13年には、孟さんは左目にけがをして、眉のところが腫れて血が流れた。メディアは近隣住民の話として「この傷は父親が殴って傷つけたもの」と報道した。

だが母親は否定する。実際には、正月に爆竹を鳴らした時に負ったけがだという。

長男が自殺を図ってから、父親は反省している。父親は地元では名が知られるほど短気な男だが、ねちねちと後を引くことはなく、すぐに忘れてしまう。一方、息子の凡森さんは内向的な性格。言葉は少ないが、父親の短気な性格は引き継いだようだ。けんかの時は、互いに譲らず、家の外まで聞こえるという。

市場での仕事は、凡森さんにとって徐々に負担になっていった一方、家族は彼の心の揺らぎを察することはできなかった。

凡森さんは、病院での危険な段階を乗り越えた。父親は、幾度となく息子に問いかけた。どうして毒なんか飲もうと考えたのか、と。

「家の中では少なくとも毎日2~3回けんかが起こる。とても耐えられない」と息子。「1か月前に近くの店で8元(約130円)で農薬を買い、店の中に隠しておいた」

8日、病院のベッドで緑の患者服を着て横になっていた孟さんは突然、母親に言った。「早く家に帰って魚をさばきたい、ここで寝ていてもやることが無くてつまらない」


「殺魚弟」として有名になったころの画像


現在入院中の凡森さん


看病に来た家族

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