中国の首都・北京市の中軸線上に位置する「中山公園(Zhongshan Park)」は今年、開園110周年を迎える。中国近代革命の先駆者である孫文(Sun Wen)の号(ごう)中山(Zhongshan)にちなんで命名されたこの公園には、北京市民の思いと記憶が込められている。
中山公園は北京城内(市街)で最初の公共庭園で、もともとは明清時代の社稷神(しゃしょくしん、土地と穀物の神)を祭った祭壇で、北京の中心軸線上にある天安門広場の西側に位置し、東側の太廟(たいびょう、祖先を祭る廟堂)とともに、「左祖右社」(左に祖霊廟、右に社稷壇)という帝都にあるべき理想的な規律で配置されていた。
1914年、当時の政治家で著名な建築史家でもあった朱啓鈴(Zhu Qiling)の発案と後援の下で市民のための公園として開放された。最初は「中央公園」と呼ばれていた。
25年、革命家孫文の棺が一時公園内の礼拝堂(中山堂)に安置された。当時の愛国者たちが孫文を記念するため、28年に中央公園を「中山公園」と改名した。
イチョウが黄色く色づき入園者や写真愛好家を魅了している晩秋の中山公園(2023年11月20日、資料写真)。(c)CNS/李嘉嫻
同時に明朝永楽帝時代の建物「習礼亭(Xiliting)」、日本でもなじみの深い著名な作家で政治家の郭沫若(かくまつじゃく、Guo Moruo)が「保衛平和」と揮ごうした四柱三楼の「保衛平和坊」などを公園に移し、また新たに二層六角形の緑色の瑠璃瓦(るりがわら)屋根の「松柏交翠亭(Songbai Jiaocuiting)」、西洋風の円形八柱の「格言亭(Geyanting)」を建て、優雅な景観を造成した。
首都で最も早く開かれた公共空間である中山公園は、中国現代美術の展覧会、協会、大学、画報の誕生と発展を目撃してきた。当時の北京派の芸術活動の中心となった。中華民国時代の衆議院議員でもあった著名な書画篆刻家で「中国画学研究会」の創設者・金誠(%%Jin Cheng%%)を始めとする、徐燕孫(Xu Yansun)、張大千(Zhang Daqian)、斉白石(Qi Baishi)、黄賓虹(Huang binhong)、徐悲鴻(Xu Beihong)など中国書画界の巨匠たちが中山公園にその足跡を残した。
有名な芸術家だけでなく、偉大な作家魯迅(ろじん、Lu Xun)も北京に滞在していた時には、中山公園を非常に愛していた。
園内の歴史ある茶館「来今雨軒(Laijinyuxuan)」のスタッフ肖傑(Xiao Jie)さんは「かつて魯迅はここで冬の野菜饅頭を食べ、ジャスミン茶を飲むのが好きでした。今は公園を訪れる人たちに、古い歴史の思い出とともにそれらを味わってもらっています」と話す。
首都の都市建設の軸として、北京の中軸線周辺の全ての公園は、首都を彩る「緑のピース」とみなされ、また市民や北京への来訪者たちから、たくさんの深いまた新しい意味が付与されている。現在、これらの公園は「都市の緑の肺(緑地)」として機能を果たしているだけでなく、人びとに北京の悠久の歴史の精神と人文的な温かさを感じさせている。
「北京のどの公園も最も優れた証人です。花咲く庭をまもる北京の市井の人びとの暮らしや、首都の中軸線の周辺の生活空間の変化を見守って来ただけでなく、都市建設者たちの苦労や悩みも目撃してきました」、中山公園のそばに住む「老北京」(古くから北京に住む地元民)の馬誠傑(Ma Chengjie)さんはこう語る。
また、ほかの地元民によると、北京の中軸線沿いにはもっと多くの貴重な公園が隠れているという。中軸線の中心には、景山公園(Jingshan Park)、中山公園、北海公園(Beihai Park)、天壇公園(Tiantan Park)があり、この4か所は、国内海外に名を馳せ、北京の観光名所として有名だ。しかし、さらに細かく数えると、大小の都市公園が中軸線に沿って数多く分布している。
馬さんは「点在しているとか、分散しているとかいう表現は、これらの公園を生き生きと表してはいません」と言う。北の中軸線沿いには、青年湖公園(%%Qingonianhu Park%%)、柳萌公園(Liuyin Park)、双秀公園(Shuangxiu)、人定湖公園(Rendinghu Park)があり、南の中軸線沿いには、永定門公園(Yongdingmen Park)、狼垡城市森林公園(Langfa Chengshi Senglin Gongyuan)、金海公園(Jinhai Park)、南海子公園(Nanhaizi Park)などがある。中山公園は、北から南へ中軸線上に位置する他の公園とともに「緑地群」を構成し、中軸線周辺の年間を通してその魅力と趣きを表現している。
絵画関係の仕事をしている観光客の舒昶(Shu Chang)さんは「19世紀の日本の浮世絵の版画が光と色彩を重視したように、中軸線上の公園は、光と影の層の中に豊富な色彩の変化を感じさせます。それぞれの公園の美しさが、私の北京の印象を作り上げているのです」という感想を述べた。彼は「北京の全ての公園に身を置くと、出会いだけでなく、北京の都市建設の背後にある人びとのより良い生活への憧れと渇望を感じることもできます」と話している。
中山公園の西門を出て南長街(Nanchangjie)の通りを渡ると、有名な中南海(Zhongnanhai)がある。「老北京」の李班(Li Bang)さんは「私は南長街から離れたくありません。第5環状線の外に大きな家を買ったけれど、それでもやはり中軸線のそばに住みたいです。毎日そこに行くと、昔の懐かしい感情が蘇ってくるからです」と自身の気持ちを語る。李さんは「中山公園の風格は、中軸線周辺の都市建設の人間的な意識と思いやりにつながっています。政治の中心地に近い場所ですが、人情味と素朴な隣人愛を欠いてはいません」と言う。(c)CNS/JCM