中国・浙江省(Zhejiang)寧波市(Ningbo)で15日、「第6回世界仏教フォーラム」が開催された。中日間の仏教交流は歴史が深く、鑑真(がんじん)、隠元(いんげん)、空海(くうかい)、最澄(さいちょう)といった高僧たちが両国の文化の架け橋を築いた物語は広く知られている。仏教交流が中日文化交流に果たす役割について、フォーラムに招かれた日本黄檗宗の宗務総長である荒木将旭(Shokyoku Araki)氏が事前に中国新聞社(CNS)のインタビューに応じた。
1654年、中国の高僧隠元禅師は弟子を伴い日本に渡り、その後、京都宇治で黄檗宗を創設した。これは日本の三大禅宗の一つとなっている。隠元禅師の生涯は、「両開黄檗、応化西東(東西に黄檗を開き、その教えを広めた)」という表現で表され、福建省(Fujian)福清市(Fuqing)の黄檗山(Huangboshan)は「古黄檗」、京都宇治の黄檗山は「新黄檗」として、現在に至るまで東西の黄檗宗の交流が続いている。
荒木将旭氏は、仏教交流が日中文化交流における重要な架け橋であると語る。日中の黄檗宗には数多くの忘れられない物語がある。1978年8月12日、日中平和友好条約が締結された後、日本の黄檗宗は福建省福清市の古黄檗祖庭を訪問し、友好関係を築き始めた。著名な中国の社会活動家である趙樸初(Zhao Puchu)氏の仲介で、1979年12月に日本の黄檗宗訪問団が訪中し、両国の黄檗交流の新たな章が開かれた。
中日仏教交流には、書道、音楽、絵画といった芸術が重要な役割を果たしている。荒木将旭氏は、書道が日中仏教交流の重要な文化的媒介であると述べる。日本は古代から遣唐使や留学僧を中国に派遣し、日本の書道の発展を促進した。隠元宗祖は中国の書道のスタイルを日本に紹介し、「黄檗書風」を形成し、日本の書道に深い影響を与えた。中国の高僧たちの書法作品は日本に伝わり、日本の仏教界や文化界の貴重な財産となり、両国の仏教文化交流の証となっている。
荒木氏は、尺八という楽器が中国古代で仏教音楽と密接に関わっており、日本に伝わってから日本の伝統楽器の代表の一つとなったことを指摘する。「普化尺八」は河北省(%%Hebei%%)の臨済寺に由来するもので、日本の仏教絵画も中国の仏教絵画から題材や構図、技法を学び、影響を受けている。こうした書道、音楽、絵画などの芸術が両国の仏教交流で相互に促進し、両国の仏教文化の内包を豊かにしている。
京都府宇治市にある黄檗宗大本山「萬福寺」にて、日本黄檗宗の宗務総長である荒木将旭氏(2024年10月11日撮影、資料写真)。(c)林文清
また、中国の仏教建築様式も日本に大きな影響を与えた。荒木氏は、日本の多くの寺院建築が中国の寺院の特徴を模倣しており、例えば日本黄檗宗大本山萬福寺は、明代の寺院のレイアウトと建築様式を完全に保っていると述べている。
仏教交流は両国の思想体系を豊かにしたと荒木氏は語る。日本の禅宗は「直指人心、見性成仏(禅宗で自分の本質<仏性>を直接見つめ、悟りに至ることを目指す教え)」を強調し、内省と瞑想を通じて悟りを得ることを重視している。この禅宗の哲学思想は茶道や華道にも反映されている。
第6回世界仏教フォーラムに期待を寄せる荒木氏は、今回のフォーラムが仏教文化の継承と普及を推進することを望んでいる。荒木氏はフォーラムの場を借りて、各国に対して寺院建築や仏像、古典文献など仏教文化遺産の保護と修復の重要性を呼びかけ、文化遺産保護における経験と技術を共有することを提案している。また、フォーラムが各国の仏教関係者や学者、信者間の交流と協力の場となり、仏教が世界平和と人類の福祉に貢献する役割について共に探る機会となることを望んでいる。(c)CNS/JCM