日本語の文字体系は漢字を起源とし、その後、独自に音を表す文字として平仮名とカタカナが作られ、現在の漢字と仮名の混合書記体系が形成された。しかし、現代化が進むにつれ、日本語では西洋の語彙をカタカナで音訳する現象がますます増えている。これは果たして良いことなのだろうか?隣国・中国から日本が学べることは何だろうか?
東京大学(Tokyo University)総合文化研究科教授であり、東京大学東アジア藝文書院院長を務める石井剛(Tsuyosi Ishii)氏は、中国哲学と中国近現代思想史の研究を長年行っている。石井氏によれば、翻訳には大きく分けて2つの方法がある。一つは、思考様式に即した翻訳で、もう一つは、全く異なる思考様式を持つ「異化」翻訳である。それぞれに利点と欠点があり、どちらが正しいかを一概に判断するのは難しいという。
20世紀の1920〜30年代、中国では文学者・思想家である魯迅(ろじん、%%Lu Xun%%)と梁実秋(%%Liang Shiqiu%%)の間で翻訳に関する論争があった。魯迅は「直訳」を提唱し、原文の持つ意味やニュアンスを可能な限りそのまま翻訳すべきだと主張した。直訳は中国人にとって馴染みが薄く生硬に感じられたが、魯迅の考えでは、こうした翻訳が中国人の思考様式や言語論理を変える助けになると考えたのだ。つまり、翻訳とは従来の知識体系や思考を変革する過程でもある。
石井氏は、西洋人が漢字文化圏の哲学を読む場合、音訳が最も適していると指摘する。例えば、中国哲学の「仁」は「Ren」、「理」は「Li」と音訳すべきだという。なぜなら、これらの概念は他の言語体系には対等な単語が存在せず、意訳すると意味が限定されてしまい、複雑な含意が失われる恐れがあるからだ。一方で、文脈や状況に応じた意訳も重要であり、西洋の読者が漢字文化の古典へ理解を深めるための手助けにもなる。
北京で第1回世界古典学大会が開催された。写真は外国人ゲストが木版水印技術を体験している様子(2024年11月7日撮影、資料写真)。(c)CNS/張祥毅
日本語と中国語の翻訳には特有の問題がある。両言語は共通して漢字を用いるため、翻訳が比較的容易である。20世紀初頭、日本は漢字を用いて西洋の概念を多数翻訳し、それらは後に中国でもそのまま取り入れられた。しかし、現代の日本語では英語の単語をカタカナで音訳する現象が増加し、特に現代科学技術や社会制度に関する新語の多くがカタカナ語で表現されるようになっている。
カタカナ語は漢字とは異なり、意味を持たない表音文字であるため、日本人にとっては単語の意味をイメージしづらい。これらの新しい言葉は先進的で権威があり、流行している印象を与えるが、大量に音訳されたカタカナ語が入ってくることで、日本語自体の語彙形成能力が低下し、言語の創造性や想像力が損なわれる恐れがあると石井氏は懸念を示す。
石井氏は、中国語も現代社会の発展に伴い、新しい概念や言葉が数多く生まれていることに注目している。特に科学技術分野での新語が目立つが、日本人はこうした言葉をあまり知らないという。中国語の新しい漢字語彙は意味が明確で、直感的に理解しやすい。そのため、石井氏は中国の新しい漢字語彙を日本に紹介することで、日本語に新たな視点や刺激をもたらすことを期待している。(c)CNS/JCM
取材に応じる石井剛氏(東京大学総合文化研究科教授、東京大学東アジア芸文書院院長)(撮影日不明、資料写真)。(c)CNS/張祥毅