中国西北部・寧夏回族自治区(Ningxia Hui Autonomous Region%)銀川市(Yinchuan)にある西夏陵遺跡は11日、正式に国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)の「世界遺産リスト」に登録され、中国で60番目の世界遺産となった。西夏陵は、西夏王朝時代の遺跡の中でも最大規模で、最も格式が高い重要な遺構であり、現存する中国の帝王陵としては最大規模かつ地表遺跡が最も完全に保存されているもののひとつだ。
西夏陵は賀蘭山の南部東斜面、扇状地のゴビ砂漠に位置し、南北約12キロ、東西は1〜5キロの範囲に広がる。陵墓群には9つの皇帝陵と271の陪葬墓、5.03ヘクタールの北端建築遺構、32か所の洪水防止施設が含まれ、山並みの美しい賀蘭山とともに独特の陵区景観を構成している。
寧夏・銀川の西夏陵遺跡区を見学する観光客=2025年7月12日撮影・資料写真(c)CNS/于晶
西夏はタングート族(党項族)によって建国され、遼、宋、金と並び立ちながら約200年にわたり中国史に存在した。1227年、チンギスハン(Genghis Khan)率いるモンゴル軍が賀蘭山を越えて侵攻し、西夏王朝は滅亡。西夏の文字や制度、記憶はほぼ消滅し、陵墓も破壊された。その後、壮麗な瓦屋根や木造建築は失われ、版築による土製の陵台や陵の壁といった土の構造物だけが残った。
1930年代、ドイツのルフトハンザ航空(Lufthansa Air)のパイロット、ヴルフ=ディーター・カステル(Wulf-Diether Castell)氏が寧夏上空を飛行中に、ピラミッド状の土の塚が広がる光景に驚き、空撮写真を撮影した。彼の写真に写っていた「ピラミッド群」こそが西夏陵だった。
1970年代に入ると、西夏陵の研究と保護が本格的に始まり、正式に考古学的な発掘調査が行われるようになった。寧夏大学(Ningxia University)の人文学・民族学部部長であり、民族・歴史学院の院長でもある杜建録(%%Du Jianlu%%)氏によれば、西夏陵から出土した遺物は7100点にのぼり、その多くが高い文化財的価値を持っているという。たとえば、屋根飾りの「鴟吻(しふん)」や龍の頭の装飾、石柱の龍彫刻などは、いずれも皇族の建築に用いられたものだった。
これらの文物は、多様な文化が融合していたことを示している。銅製の牛像や石馬からは農耕文化と牧畜文化の共存がうかがえる。仏塔型の陵塔や、多数の伽陵頻伽(かりょうびんが)、蓮の花を模した礎石などは、仏教文化が重視されていたことを物語る。出土した人像には漢民族と胡人(西域系民族)の両方が含まれており、西夏が多民族による政権だったことが分かる。
ユネスコは、西夏陵について、多様な文化が融合した歴史的証拠であると評価している。その空間構成や設計思想、建築様式は唐や宋の陵墓制度を継承しつつ、仏教信仰やタングート族の風習を融合させて、独自の信仰や葬送文化を形成した。また、西夏王朝が11〜13世紀のシルクロード上において、文化や商業交流において果たした特異な役割も証明している。
すでに1980年代には、西夏陵は中国の国家級景勝地に指定されており、2017年には国家考古遺跡公園にも登録された。園内には西夏陵博物館や遺跡区域が整備されており、来訪者は館内で金銅仏像や緑釉の鴟吻、伽陵頻伽像といった代表的な文化財を鑑賞し、西夏の歴史や文化を学ぶことができる。また遺跡区域では、自転車や馬車に乗って見学することもでき、長年風化せずに残る夯土製の陵塔の威容を肌で感じることができる。