今年3月に28歳で天国へ旅立ったジャイアントパンダ「旦旦(タンタン、TanTan)」をしのび、感謝する会が9月29日、神戸市立王子動物園(Kobe Oji Zoo)で行われた。中国駐大阪総領事館と同園が共催。1000人を超える応募から抽選で当たったファン約160人が全国から駆けつけ、「神戸のお嬢様」の愛称で親しまれたタンタンとの思い出を振り返った。
24年前、日中共同での繁殖研究と阪神・淡路大震災で傷ついた人々の心を癒すためパートナーの「興興(コウコウ、KouKou)」とともに来日したタンタン。
薛剣(Xue Jian)総領事はあいさつの中で「タンタンは『客死他郷(自分の故郷以外で亡くなること)』したが、日本の多くの方々に愛され、中日友好に尽くし、非常に満足して旅立ったと思う」と述べた。また、「タンタンがいてくれたからこそ中国に行き、より多くのパンダに会い、中国人とも友達になりたいと思うようになった」というファンからの手紙を紹介。「パンダ愛から人間愛へ」「パンダファンから中国ファンへ」と強く願った。
タンタンのメモリアルムービーが上映されると、会場のあちこちですすり泣く声が。続いて、歴代の飼育員4人がタンタンとのエピソードを語った。
兼光秀泰(Hideyasu Kanemitsu)さんは、タンタン来日前に中国で研修を受けた時の話を紹介。「臥龍の人はパンダに優しく接して、決して怒らない。それは今の私の中にも生きていて、動物のトレーニング時に絶対怒らない」と述べ、「動物も人間の子どもと同じように、褒めて褒めて育てていくことが重要」と強調した。
「臥龍に研修に行ったことが個人的には一番の思い出」と懐かしんだ坂本健輔(Kensuke Sakamoto)さんは、2002年の日韓ワールドカップのエピソードも。「丸まった白黒のパンダがサッカーボールに似ている」と、当時テレビ放送で応援団を頼まれた時のタンタンの写真を披露。会場は大きな笑いに包まれた。
吉田憲一(Kenichi Yoshida)さんは「やぐらの階段の改修」と題し、高齢になったタンタンがやぐらから降りられなくなり、新しい階段を作製、タンタンが「初登頂」するまでの経緯を動画を使いながら説明。独自の視点からの思い出を参加者はともに楽しんだ。
動物園公式Xで「#きょうのタンタン」を約4年間発信し続けてきた梅元良次(Ryoji Umemoto)さん。投稿を始めた目的や、タンタンの日常を切り取ってファンに伝える楽しさや手ごたえ、「#君が笑うとぼくもうれしい」「#また明日ね」といったハッシュタグに込めた思いなどに触れ、「タンタンを通じていろいろな人との出会いや思い出ができた」と感謝した。
中国からビデオメッセージを寄せた王承東(Wang Chengdong)獣医師は、王子動物園で初めてタンタンに会った時の印象や10年以上タンタンの様子を見続け、診察や治療に関わってきたことを回顧。「タンタンは旅立ってしまったが、私たちの思いや感謝は変わらず、彼女がくれた明るい気持ちは忘れない」と述べ、長年タンタンを世話した王子動物園関係者やパンダを愛する全ての人に感謝の意を表した。
日本全国から寄せられた写真やメッセージなどを収めた記念アルバムの贈呈式の後、薛剣総領事から、日中友好の架け橋として貢献したタンタンに「中日友好特使」名誉称号が授与された。代理で称号を受けた王子動物園の加古裕二郎(Yujiro Kako)園長は「タンタンは24年間神戸の復興を見守り、見届けてくれた。神戸市民の一人として感謝の言葉しかなく、タンタンを笑顔で見送りたい」と述べ、「今後も折に触れてタンタン追悼のイベントを行っていきたい」と意気込んだ。
感謝の会に兵庫県・淡路島から参加した女性は、「タンタンは尊敬する人でもあり、お母さんでもあり、可愛い子どものような存在だった」という。晩年に心臓病と闘ったタンタンの姿を大病で治療を受けた自身に重ね、「これからもタンタンの姿を思い出して頑張りたい。今日の会に参加してタンタンの大切さが自分の中でどんどん深まっていることに気づいた」と涙ぐんだ。
タンタンの誕生月の先月9月、神戸市内ではライトアップや映像放映、バナーやポスターによる装飾など、各所でタンタンの追悼事業が行われた。